そうはいってもまだ新たな変化が…

楽器がやけに上手に演奏できたんですよね… いやー、面白いなぁ。

 

まさに身体と心の変化の結果なのかな

おそらく、シンプルにビビりすぎなくなったので緊張によるミスが減ったからというのが理由の一つ。それから全身と顔まわりの筋肉の余計な緊張が減ったからではないかと思っています。

 

楽器の演奏って、文字通り全身を使います。特に顔まわり〜上半身の使い方は演奏の仕上がりに大きな影響を及ぼすと思うのですが、そのあたりがいい感じにリラックスした状態で演奏できていた…はず…。

 

あ、そして何より心持ちかもしれないです。自分の音いいじゃん! と素直に思えて、うれしかったです。

 

アイコンタクトが取りやすいと、日常でも合奏でも行動が捗る

ついでに実感したのは、人と目線を合わせるのがそこまで苦ではなくなってきているということ。店員さんのような知らない人でも、あるいはバンドのメンバーのように面識のある人とでも、目があったときに不必要に慌てることが減った気がします。目があった瞬間、何故だか必要性を感じて戯けた態度を取る、ということも減ったような。

 

やっと大人になれるのかもしれない

戯ける(おどける)必要がない、戯けたくなる衝動が穏やかになってきている。このあたりは、やっと少女でいる必要がなくなったんだなぁというか。別に、若作りしたいとかぶりっ子したいというわけじゃないんですよ、元々。

 

でも何故だか、無邪気でちょっと行動が読めなくて、ちょこちょこと不思議な行動をとる… そういうキャラとして生き抜かねば! みたいな感覚が染み付いていたんだと思います。

 

もう大人の女性になっていいんだなぁと。つまり、大人の私になっても、誰かに見捨てられたり嫌われたりしない。まあ私のことを好かない人はいるでしょうけれど、それはそれでいいというか。

 

自分は罰せられるべきだと思っていたから、同時にいつでも許しが欲しいと思っていて、なんなら何をしても許してもらえる優秀な人に憧れがあった

音楽をやる人の中には、大人らしさと無邪気さを両立している人がけっこういると思います。無邪気な部分だけを表面的に真似しても、急に全体が魅力的になるわけではないのですよね。

 

子供でいることによって許されやすい存在でありたかったのと、天才肌な人への憧れと、あと何かしらの成功体験とかが混じり合って、私の「天真爛漫な少女らしくいなきゃ」という感覚は作られていたのかもしれません。

 

そういうサバイバルの必死さや、突出した才能のある人への憧れをもう手放していいんだ、手放しかけているんだと思うと、だいぶ自由に近づいた気分です。

 

 

詳しい気持ちメモ

*特定のジェンダーだけを高く評価する意図はないです。私の場合はいわゆる女性らしさに憧れがあるし、それを抑制してきた感覚があり、大人の女性という言い方がわりあいとしっくりきます。

 

*好かない≒特別に好きといわけではない≒個人の好みに関わらず忌避したくなるような、迷惑な言動を取っているわけではない

スター期間が終わるのかも

変化に驚かされ、喜ばされたこの1、2週間。

なんとなく、そろそろ、その激動の期間が終わる気がします。

 

生きやすい生活に慣れてきた

土日によく眠ったからか。今までと変わらずテキパキできない場面もあると気がついたからか…(自分一人の予定をこなしたあと恋人に会いに行こうと思ったけれど、疲れてやめてしまった)

あとはシンプルに“変化後”に慣れてきたのか。

 

「新しい当たり前」が、これ以降の私にとっては「普遍的な当たり前」になって、驚くことが減っていくのかもしれません。

それでも、この生きやすやは継続してくれるんだろうか…  というより、継続して享受するぞ! と思うくらいの方がいいのでしょうね。

 

一時的なスター期間だったとしても、会得した「生きやすい感覚」は保持したい

軽躁が終わって、謎の自信やコミュ力のメーターが上振れしていたのが元に戻るという事象なのかもしれないけれど… まあ、それでも、いいか。

 

案外、これ以降、気にしすぎが減って平和に過ごせるのかもしれないし。うん。きっとそう。そうであってほしい! そうなるはず!

 

5月後半以降は、ベースとして梅雨で気分が落ち込みやすいと思いますし、スターの日ばかりじゃないと思うけれど…  それでも、自分が変化を感じたこと、テキパキできたことは事実だし、ちょっと自信を持ってやっていきたいと思います。

 

あ、「スター」はもちろん、マリオの無敵スターです。

 

 

 

忘れ物に気づいた時も、パニクらなかった

今日はオフィスに行く日でした。もうすぐオフィスに着くぞというときに、気づいたんです。

 

ノートパソコン忘れた!

私はデスクトップPCを支給されておらず、つまり仕事道具の一切を忘れたのです!

 

こんなの小学生がランドセルを背負い忘れて登校するようなものです。(私は貴重品だけの入ったリュックをしっかりと背負ってましたが…)

 

血の気が引く…というほどではなく。落ち着いて対応を考え始めた自分がいて、ちょっと拍子抜けしました。まあたしかに、商談があるわけでもなかったので、なんなら自宅に戻ってリモート勤務に切り替えれば往復の時間のロスだけで済むわけで…

 

 

こういうとき、今までだったら、誰に聞かれるでもないのに言い訳を考え始め、しまいには誤魔化すための小さな、けれど複雑な嘘の内容まで考え始めて、冷や汗をかいてもうダメだ…となっていてもおかしくなかったなと思います。

 

それにしても冷静でした。頼りになる…!

 

結局、予備のマシンがあるだろうと考えて開き直ってオフィスに向かいました。で、リュックを開けたら、ノートパソコンちゃんと入ってたんですよね……

 

人騒がせな脳みそです……

 

入れ忘れた場面に心当たりがあったから「やっぱり忘れたかー」とまで思っていたのですが、案外しっかりしてました。いや、忘れたと勘違いするあたり、抜けてますね、これ。ははは。

 

でも忘れた!と思った時点では、わたしは確かに「重大な忘れ物をした場面」にいたわけで、そこでパニックにならなかったのは、よい変化の一つだと思います。

 

こうして変化を書き留めていると、どうも、昔のわたしもけっこう落ち着いていたのでは? 案外肝が据わっているヒトだったのでは? と思えてきます。

 

休職したときか、就活で悩んだ時か、はたまたもっと前か… どこかのきっかけで自分を極端に信じられない、信用できないようになって、それ以来、自分で自分をなじり続けていたのでしょう。最近、自分が(自分にとって)頼りになるじゃん!と感じられて、これ、本当にうれしいです。

 

捻りのない言い方になりますが、私もほかの人たちと同様、生きていて社会に参加してもいいんだなぁという感じ。

 

今日も、遅 くまで仕事した割にササっと退勤・帰宅したし。(デスクの施錠がが心配になって途中で引き返しましたが… どんまい…。ちなみに閉まってました。)

 

このあともざっとシャワーを浴びて日付が変わるまでには寝れそうだし。

 

しにたくならずに布団に入れそうです。今日オフィスでちょっと頑張ってきたから、土日は仕事の圧迫感に負けることもなさそうです。

 

このままいい変化が続いてそれが当たり前になってくれますように。

 

 

iPhoneが固まって電源を切ることの出来ない時は

音量を上げるボタンを押して素早く放し、音量を下げるボタンを押して素早く放してから、サイドボタンを押さえたままにします。Appleロゴが表示されたら、ボタンを放します。

support.apple.com

iPhone 8またはiPhone SE(第2世代)・iPhone XiPhone XSiPhone XRiPhone 11、またはiPhone 12 共通です。

困ってPCからこのページを見ている方、ぐっどらっく!

今朝、目覚ましを止めるためにiPhoneを操作しようとしたらうんともすんとも言わないので困りました。 この手順で再起動したら無事うごくようになりました。起動中だった「Sleep Meister」の直前の記録が残っていなかったのが少し残念…。

やっぱり前向きな変化だと思う。もしこのあと不調に戻るのだとしても、この変化から学んだことを活かしたいからメモを残します。

こんばんは。

今日は昼過ぎから夕方まで外回りの仕事をしていました。無事トラブルなく終えられて、そして、帰宅後の今、ぐったりせずに過ごせています。すごいことです! やはり対人関連のエネルギー消耗が確実に減っている気がします。

以下、今日の気づきメモです。

体格の大きい人にもビビらなかった

今日お会いした方の一人が、私よりも身長が高くて、肩幅もガッチリしているような人だったんです。そういう人と話をすると理屈でなく怖いなと思ったり、面と向かって話すのに緊張して発言のタイミングを逃したり、というのが常だったのですが… 

今日はなんだか大丈夫でした。なんなら、移動の合間に「あの方もプライベートではもっと朗らかな雰囲気かもしれないよね」「なんなら弱みの一つや二つ、あるんだろうな」という感じで更に緊張を和らげるハックを発動する(?)余裕さえありました。

さらに、いわゆる目上の方にあたる人に初めてお目にかかる機会もあったのですが、そのときも、ペコペコしすぎず落ち着いてご挨拶が出来たと感じました。

この調子で、幅広いタイプの人と落ちついてコミュニケーションが取れるようになっていきたいな。

調子に乗ってアクセルを踏みすぎなかった

気がついたら、意外と遅い時刻まで会社の仕事をやっていたので、さきほど切り上げました。つまり、自分で気がついて切り上げられたということ!

理想よりも進捗が遅い項目もありますが、まあ、許容範囲内。軽躁のときバリバリ仕事をしすぎて燃え尽きてしまう、というエピソードを目にしたことがあり、それが最近ことあるごとに警戒している「軽躁かもだから慎重に対応しなきゃ」というポイントの一つなのですが… 私の場合、今日のところは大丈夫っぽいです。

元々、過集中に陥る経験はちょこちょこある(と思っている)ので、これからも、沼に沈み込んでしまう前に自分で気付ける…ということが増えるといいと思います。

一人反省会がエグくない

外出して人と会ったので疲れました。でも、前みたいにしにそうな疲れ方ではないのが地味にうれしいです。

これだけの時間ひとと話して一緒に行動していると、あとになって「あのとき〇〇と言えばよかった!」みたいなのがわんさか出てきて「社会人無理。社会で生きていくの無理。そうするとお金も稼げなくなって生活資金がなくなってしぬしかない」みたいなところまで落ち込むのも珍しくなかったんですが… (こうして文字にするとネガティブの連鎖が激しすぎますね…?)

今日は、自分を責める声が聞こえてこないんです。対人関連だけでなく、個人作業の進捗が理想より停滞しているという事柄もあるけど、それに関してもさほど落ち込んでいないし。

もしかしたら、反省する項目が実際に減っていることも関係しているかも。「いま発言すべきかも…」と思っても、「いや、無理に私がしゃしゃったり犠牲になったりする必要はないな」と思って発言せずに黙っておく…というのが実行できた日だったと思います。

なんだこれ、快適だし、問題起こらないじゃん… 今まで、なんのために批判を受けに行っていたのだろう。本当に私の言葉が求められているときには、周りがそう言ってくれるだろうし。もっと、自由に黙っていていいんだな。黙っていてもいいと認められれば、喋らなきゃ! という緊張も減るし、結果として失言も減るはず。なんだかいい方向に向かっている気がします。

エネルギー消耗が減れば余裕が出来て、生活自体も落ち着くのでは。

そういえば、夕飯の買い出しを妥当に諦めることができたのも、よかったです。今までの私だと、今日みたいな日、駅に着いてから「何か買って帰ろうかな〜」とお店をフラフラしちゃってたと思うんです。それで、本当は必要ないのに買い物をして物を溜めてしまう。しかも、フラフラすることで更に疲れて、更に遅い時間に帰宅することになって、家につく頃にはぐったり。

今日はそうじゃなかった。冷蔵庫にキャベツも卵もあるから… と思って直帰できました。(そもそも、冷蔵庫の中身を把握できているのが素晴らしい)

こうやってちょっとずつ不本意疲労不本意な消費・浪費が減っていったら素敵だなと思います。

いま21時前、これを書き終えたら軽くご飯を食べて、寝る準備をしようと思います。ちょっと欲張りな気持ちとしては、絵を描いたり手芸をしたり、そういうことを始めたくなりますが… やめておきます。

平日にも趣味の時間を取れる生活に期待を抱いて、今日は早く寝るぞという気持ちになっています。そもそも、こうして気付きメモを書く時間を取れたというのは(会社の仕事以外の)自分のための時間を取れたということなわけで、十分立派でした、私。この調子なら平日に趣味の時間を取れる日々も夢じゃないぞと思えてきてうれしいので、この前向きな気持のままパソコン閉じようと思います。おやすみなさい。