示唆的っぽい夢 ふたたび

ファンタジー仕立てで、10くらいのミッションをクリアすることによってヒーローの勝利が確定仕組みのラスボス戦だったんですけど…

 

そのうちのミッションの一つが、母親絡みでした。事実じゃないと思いますが、私が3歳の頃、キャンプに行った先で怪我をしたことがあったと。その原因になったアイテムは何か? を分かっていないとミッションに対応できないようになっていました。アイテムは「箸」なのはすぐに分かった(覚えていた?)のですが、更に家族のうち誰の箸か? も特定しないといけません。

 

母に聞いたら、上半分が青の箸を提示してくれました。これ、父の箸です。(少なくとも、その世界線では父のだと私は確証を持ってました。青地にくまさんのイラストだったかな…)  

 

でも、私は、本当かな?と。赤かピンクだったと思う、という感じがして… 赤が母の箸です。そのことを言うと、母は思い詰めた感じになりました。なにかに怒っている風でもありました。

 

どの色の箸を答えと決めたんだっけな。赤って言ったんだと思います。だって、ピンクのは私の箸で、自分が原因なわけないから…。(このあたり、ちょっと謎ですよね、夢あるあるかもですが、そういう意味を持つものだったんです)

 

そしてたしか、クリアできたんだと思います。ミッションクリアを匂わせる画(え)もあったので…。 映画でもありますよね、事件が解決したかどうか決定的なシーンは映らないものの、エンドロール内では、解決したあとの平和な世界線の一コマを見ることができる、みたいな。今回のはゆるく物語がループしている系にも感じましたが、邪悪な感じはだいぶ減っていました。

 

そう、それで、箸のこと。母が「子が怪我をした責任は父にある」と主張している。そういうことかなと思ったんです。(母の箸じゃなくて父の箸で怪我をした) 母が許しを乞うているようにも見えます。そして私は、謝る母にもういいよと言いたいのかもしれないし、あるいは、それみたことか常々じぶんは子に愛を注いできたというような顔をしているが自らの不注意で子を傷つけたこともあったではないか! みたいに言いたいのかもしれないし。私は私の本心がよくわかりません。

 

まあでも、箸で喉をつく事故(重症でない)という例えを素直に受け取って考えると、両親のどちらが悪いのでもなく、子供に悪意があったのでもなく、言葉通り「事故」なのではないか?という気もしますけどね…

 

私の心理としては、子育ての責任を押し付け合う両親を見たことがあって、自分のせいで父と母が喧嘩をしているのが悲しく辛かったのかもしれません。

 

あるいは、母は自らの失敗を披露して、直後に言い訳して自分の正当性を主張して許してもらいたがる、そういう一連の発言をすることが多いタイプの人でしたから、そういうのに飽き飽きしていたのが私の本心なのかもしれません。(あ、母も父も生きています。誤解のある書き方かもしれませんがこれは過去形の文法の限界かもしれない)

 

でも、全ては夢だったし、現実の私にとっても過去のことなので、まあいいかという感じです。親を恨むも自由、許すも自由、ちょっとムカつくエピソードもあるけれどおおむね感謝していると思うのも自由。たぶん、三つ目なんでしょうね。

 

ちなみに私は、親に親らしい態度を求める気持ちの強い子どもだったように思います。通信教育の封筒に入っている保護者向けの冊子を読んで、「やっぱり親は、子供が素直に感情表現をできない時や、意思に反して思考力や技術が及ばない時でも、それを汲み取って適切に子供を認めて励ますべきなのだ」と思ってました。ははは。

 

今回の夢でも母を責める私、みたいな構図になってましたが、それが実際の気持ちと一致しているのかは、確証がありません。

 

誰が誰を責めてるのか、誰が誰のことを許したがっているのか、許してもらいたがっているのか。

 

ああもう、全部許してしまった方が気楽になるのではないか?と思う現在の私。小さい頃の私は、もしかしたら許さないで復讐の気持ち(?)を持っていて欲しがってるのかもしれませんが、うーん。

 

それに報いるよりも、彼女のことを認めて寄り添ってあげることの方が大切な気がします。私が求めていたハードな親像も、私が私を心の中で世話するという枠組みの中であれば、やってあげられそうなので。(実際の子育ての中で菩薩で居続けるのは多分相当難しそう)

 

 

 

 

 

昨日から一昨日くらいの夢。下書きしておいたもの。

今日見た夢は、すごく示唆的だった気がする。夢の中では夢と気づかなかった。

 

現職のMTGのシーン。いつものオフィスじゃなくて大きい一軒家のリビングみたいなところで話してた。もうすぐ自分の話す番だけど回ってうまく話せそうにない。発言を絞り出したら「それは次の議題だよ  今はその話題じゃないよ」と諭され笑われる。「頭がうまく回らないので、本当にすみません」と言って中座する。

少し人影になるところに移動した。半分本気、半分パフォーマンスで泣いてみる。あれ、思ったより本気の本気で泣けてけるやつで止まらないじゃん。

 

母と話すシーン。

私が自分なりに、仕事の進路・転職の方針を決めた。妥協がないわけではないが、それなりに納得感や希望を持って決めたものだった。

それを私は母に報告する。心が揺るがないよう、今回は事後報告だ。

 

母は私の方針について「えっ」みたいなことを言って、どこかに電話し始めた。私に何か「してくれる」ため誰かに協力を仰いでいるらしい。

 

母と話すシーン2

私は感情にまかせて母に怒りの言葉を飛ばしている。なんで私の決断に水を指すようなこと言うの!  私は納得して前向きに未来を考えていたのに! (あなたに否定されて、)あなたのせいで気持ちがダメになった!

 

出かけていってしまう母に聞こえるよう大声で言って、そのあと隠れた。母は玄関から引き返してくるだろうか?

戻ってきた!

私はベランダから外に出て、迫り出したベランダの床の下に潜った。母は「そこにいるんでしょ」みたいなことを言って何か話しかけてきた気がする。何を言っていたのか?私にらその声が聞こえていたのかどうか?は思い出せない。

 

講義のシーン。

なぜだったか、とにかく話やテストについていけない。そのクラスで出来損ないだ。

 

 

 

そうはいってもまだ新たな変化が…

楽器がやけに上手に演奏できたんですよね… いやー、面白いなぁ。

 

まさに身体と心の変化の結果なのかな

おそらく、シンプルにビビりすぎなくなったので緊張によるミスが減ったからというのが理由の一つ。それから全身と顔まわりの筋肉の余計な緊張が減ったからではないかと思っています。

 

楽器の演奏って、文字通り全身を使います。特に顔まわり〜上半身の使い方は演奏の仕上がりに大きな影響を及ぼすと思うのですが、そのあたりがいい感じにリラックスした状態で演奏できていた…はず…。

 

あ、そして何より心持ちかもしれないです。自分の音いいじゃん! と素直に思えて、うれしかったです。

 

アイコンタクトが取りやすいと、日常でも合奏でも行動が捗る

ついでに実感したのは、人と目線を合わせるのがそこまで苦ではなくなってきているということ。店員さんのような知らない人でも、あるいはバンドのメンバーのように面識のある人とでも、目があったときに不必要に慌てることが減った気がします。目があった瞬間、何故だか必要性を感じて戯けた態度を取る、ということも減ったような。

 

やっと大人になれるのかもしれない

戯ける(おどける)必要がない、戯けたくなる衝動が穏やかになってきている。このあたりは、やっと少女でいる必要がなくなったんだなぁというか。別に、若作りしたいとかぶりっ子したいというわけじゃないんですよ、元々。

 

でも何故だか、無邪気でちょっと行動が読めなくて、ちょこちょこと不思議な行動をとる… そういうキャラとして生き抜かねば! みたいな感覚が染み付いていたんだと思います。

 

もう大人の女性になっていいんだなぁと。つまり、大人の私になっても、誰かに見捨てられたり嫌われたりしない。まあ私のことを好かない人はいるでしょうけれど、それはそれでいいというか。

 

自分は罰せられるべきだと思っていたから、同時にいつでも許しが欲しいと思っていて、なんなら何をしても許してもらえる優秀な人に憧れがあった

音楽をやる人の中には、大人らしさと無邪気さを両立している人がけっこういると思います。無邪気な部分だけを表面的に真似しても、急に全体が魅力的になるわけではないのですよね。

 

子供でいることによって許されやすい存在でありたかったのと、天才肌な人への憧れと、あと何かしらの成功体験とかが混じり合って、私の「天真爛漫な少女らしくいなきゃ」という感覚は作られていたのかもしれません。

 

そういうサバイバルの必死さや、突出した才能のある人への憧れをもう手放していいんだ、手放しかけているんだと思うと、だいぶ自由に近づいた気分です。

 

 

詳しい気持ちメモ

*特定のジェンダーだけを高く評価する意図はないです。私の場合はいわゆる女性らしさに憧れがあるし、それを抑制してきた感覚があり、大人の女性という言い方がわりあいとしっくりきます。

 

*好かない≒特別に好きといわけではない≒個人の好みに関わらず忌避したくなるような、迷惑な言動を取っているわけではない

スター期間が終わるのかも

変化に驚かされ、喜ばされたこの1、2週間。

なんとなく、そろそろ、その激動の期間が終わる気がします。

 

生きやすい生活に慣れてきた

土日によく眠ったからか。今までと変わらずテキパキできない場面もあると気がついたからか…(自分一人の予定をこなしたあと恋人に会いに行こうと思ったけれど、疲れてやめてしまった)

あとはシンプルに“変化後”に慣れてきたのか。

 

「新しい当たり前」が、これ以降の私にとっては「普遍的な当たり前」になって、驚くことが減っていくのかもしれません。

それでも、この生きやすやは継続してくれるんだろうか…  というより、継続して享受するぞ! と思うくらいの方がいいのでしょうね。

 

一時的なスター期間だったとしても、会得した「生きやすい感覚」は保持したい

軽躁が終わって、謎の自信やコミュ力のメーターが上振れしていたのが元に戻るという事象なのかもしれないけれど… まあ、それでも、いいか。

 

案外、これ以降、気にしすぎが減って平和に過ごせるのかもしれないし。うん。きっとそう。そうであってほしい! そうなるはず!

 

5月後半以降は、ベースとして梅雨で気分が落ち込みやすいと思いますし、スターの日ばかりじゃないと思うけれど…  それでも、自分が変化を感じたこと、テキパキできたことは事実だし、ちょっと自信を持ってやっていきたいと思います。

 

あ、「スター」はもちろん、マリオの無敵スターです。

 

 

 

忘れ物に気づいた時も、パニクらなかった

今日はオフィスに行く日でした。もうすぐオフィスに着くぞというときに、気づいたんです。

 

ノートパソコン忘れた!

私はデスクトップPCを支給されておらず、つまり仕事道具の一切を忘れたのです!

 

こんなの小学生がランドセルを背負い忘れて登校するようなものです。(私は貴重品だけの入ったリュックをしっかりと背負ってましたが…)

 

血の気が引く…というほどではなく。落ち着いて対応を考え始めた自分がいて、ちょっと拍子抜けしました。まあたしかに、商談があるわけでもなかったので、なんなら自宅に戻ってリモート勤務に切り替えれば往復の時間のロスだけで済むわけで…

 

 

こういうとき、今までだったら、誰に聞かれるでもないのに言い訳を考え始め、しまいには誤魔化すための小さな、けれど複雑な嘘の内容まで考え始めて、冷や汗をかいてもうダメだ…となっていてもおかしくなかったなと思います。

 

それにしても冷静でした。頼りになる…!

 

結局、予備のマシンがあるだろうと考えて開き直ってオフィスに向かいました。で、リュックを開けたら、ノートパソコンちゃんと入ってたんですよね……

 

人騒がせな脳みそです……

 

入れ忘れた場面に心当たりがあったから「やっぱり忘れたかー」とまで思っていたのですが、案外しっかりしてました。いや、忘れたと勘違いするあたり、抜けてますね、これ。ははは。

 

でも忘れた!と思った時点では、わたしは確かに「重大な忘れ物をした場面」にいたわけで、そこでパニックにならなかったのは、よい変化の一つだと思います。

 

こうして変化を書き留めていると、どうも、昔のわたしもけっこう落ち着いていたのでは? 案外肝が据わっているヒトだったのでは? と思えてきます。

 

休職したときか、就活で悩んだ時か、はたまたもっと前か… どこかのきっかけで自分を極端に信じられない、信用できないようになって、それ以来、自分で自分をなじり続けていたのでしょう。最近、自分が(自分にとって)頼りになるじゃん!と感じられて、これ、本当にうれしいです。

 

捻りのない言い方になりますが、私もほかの人たちと同様、生きていて社会に参加してもいいんだなぁという感じ。

 

今日も、遅 くまで仕事した割にササっと退勤・帰宅したし。(デスクの施錠がが心配になって途中で引き返しましたが… どんまい…。ちなみに閉まってました。)

 

このあともざっとシャワーを浴びて日付が変わるまでには寝れそうだし。

 

しにたくならずに布団に入れそうです。今日オフィスでちょっと頑張ってきたから、土日は仕事の圧迫感に負けることもなさそうです。

 

このままいい変化が続いてそれが当たり前になってくれますように。